2009年2月10日作成
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ゴマの花が綺麗と幼い頃思っていて、どうしても作りたくなって無理を言ってゲートボールの知り合いに言ったところ、「あんたには無理だで止めときん」といわれたけれど何とか言ってゴマの種をもらって捲きました。「芽が出たら10センチくらい(?)の間隔に植え替えておくといいよ」といわれ作り方も教えてもらいました。「分からんかったら、家の畑を見においでん。」と言われました。
10センチ間隔に植え替えたところです。 ゴマは難しいけれど、花が綺麗だから楽しみです。 他のところの大豆はこんなに大きくなりました。 とまとが成り始めました。と言ってもまだ蒼いですけどね・・・。 小さいキュウリもなっています。 コレからどんどんなる予定です。 でも、なんといってもゴマの花の咲くことが一番の楽しみです。 朝7時0分音羽農協を出発。名神を走り明石海峡大橋を通り 波踊り会館によって泡おどりを見てきた。 急がしそうに踊っていたがそれはそれで幾種類の踊り方のある事を説明されなるほどと思った。時代によっておどりかたも替わってくるんだなあと感じた。 会館をす義理といよいよ金比羅 山に到着です。 着いてから散歩に出かけ芝居小屋を見て歩いた。途中の家はがけのようなところに建ててありびっくりです。 近くの神社に梅に咲いていた。
2月7日(日)兄弟姉妹と母でイチゴ狩りに行きました。
久能山のイチゴは赤くって甘くって、美味しいイチゴでした。 でも、映像が大きすぎて載せれません。 イチゴを食べた後日本平のロープウエァー二のって久能山東照宮へ参拝をしてきたんだよ。 東照宮は初めてでとても綺麗だった。久能山東照宮は徳川家康を東照神君として平和・開運・学問・厄除けの神として宗められ、全国東照宮の根本大社として幅広い宗敬を受けている。 東照宮の入り口(私は帰りに見たのであるが]家康の手形があった。大きさ的には男の人の手よりちいさめである。身長155センチとあったのでなるほどと思った。 奥に行くと家康のお墓があった。 梅の花も咲いていた。桜の木もある。季節ごとにいいところになりそうだ。 家康公は天文11年(1542年)12月26日三河国岡崎城(愛知県岡崎市に生れ、あらゆる艱難辛苦の末戦国時代に終止符を打ち江戸時代260年に亘る世界に其の比を見ない長期平和の礎を打ち立てられ、学問、産業、文化の基礎確立し、晩年は駿府城に隠居されたが元和2年(1616年)4月17日75歳で薨去、御遺命によりその夜当山に葬られた。 遠くに富士山が綺麗に見えたことがすばらしい。 こんなにくっきりと雪の模様が見えるのは見たことがない。 夏や秋の富士山はよく見たが雪がこんなに残っている富士山も実にすばらしい・・・。 最後に梅の木々をみつつ、家路に向かった。 |
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